「傷つく心の力」
昨年の暮れあたりから、私自身の英会話についての「気づき・絶望・心機一転」について
下手な説明で、ワークショップに参加してくださっている皆さんに熱く語り過ぎたことを反省してます
「絶望」の部分が強烈に伝わってしまったんだと思います
その後、何人もの方が去っていかれました。
言わなくてもいいことを言ってしまいました。doomed....
9ヶ月経った今、どうでしょう?
私の心は傷がだいぶ癒やされ、新たに飛び込んでいく勇気が出てきたと感じてます
とは言え、英語力とは直接関係ないですが、イベントのマネージメント力、コーディネーター力では
大きな失敗をし(人にとっては、大した失敗ではないんです、きっと)立ち直るのに時間がかかり
「アナがあったら入りたい、巻き戻せるなら巻き戻してやりなおしたい。」気持ち20%と共存中
英語力の方は「居直る・弱さを見せる勇気」が築かれてきましたが、
リーダーシップ・ファシリテーターの面では、まだまだ、ということがわかりました。
しかし、2日前から、また「Daring Greatly」の最初の部分を読み直したら、
自己肯定感も湧いてきて、今、こうしてブログを書けています
その昔、街頭インタビュー in Englishをマダム達と行ってビデオに撮りました
圧倒的な「私はできない」「私は嫌だわ」という声にめげずに行ったものの、
内心、私自身も恥ずかしいし、協力してくださった皆さんにも申し訳なかったかなと思う心を引きずってきました。
まったく面倒臭い私です。言い出しっぺは私なのに。。。。
でもそこから救ってくれたのが「Daring Greatly」の冒頭、
米国大統領フランクリン・ルーズベルトが
勇気ある人に関して語っている名言からの引用文です
「批判する人に価値は無い。観客席から行動した人間を指してどうすれば良かったとか、どんな風につまずき失敗したのかと指摘するだけの人に価値は無い。埃と血と汗にまみれて努力した競技場に立つ人に名誉は与えられるのだ。競技場に立つ人は、うまくいけば勝利を得るし、失敗すれば敗北を喫する。しかし、失敗し敗北したとしてもそれは果敢に挑んだ結果なのだ」
このリンクにある「ジョハリの窓」
「自分が知っていて、他者が知っている自分の「公開の窓」を広げていくことが勇気ある弱さを見せることに繋がってきます。秘密の窓を埋めていく形で公開の窓を広げるには、他者への自己開示が必要です。
弱い部分も含めた、あるがままの自分を見せることで周りにあなたらしさがより伝わります。」
ミーティングをうまくモデレートできない自分も今の自分
明日の自分は過去の自分よりはちょっといいかもしれない
自分のことはわからないけど、仲間の成長はすごくよくわかる
英会話にもいまだに悶々としておりますし、
高齢者に「あら、お若いですねぇ」とはいうけど、
中学生に「お若く見えますね」とは言わない、などと捻くれて
英語の上達を称えてくれている人に対しても、斜めな気持ちを感じたりする
「あぁ、私の英語は、そんなことを言われちゃうほど、ひどいんだ。。。。
上手な人に『頑張っているね。良くなってきたね』なんて言わないだろう」
なんてね。
ハスに構えて解釈しても、素直に解釈しても、結局、同じ時間、同じ人生の中の時間
捻くれてみたところで私の英語は良くならないことは、よ〜くわかっている
深読みして落ち込むより、次に進む方が無駄がない
無駄が一番いけない
ひねくれているのは自分が他人と比較してるから起きる現象
ドンドン余計な雑念は捨てて、アンラーニングしよう
そんな風に思う9月17日の朝でございます マル
You have a great day♪
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