獲得には、喪失がつきもの
Clubhouse、まゆこさんのお部屋で「人生思い通りにコトを運ぶ法」久美沙織著 を知り、古本shopで購入。
オペラント(道具的条件づけ)自体にそれほど興味はなかったけど、
結局、シンプル。 シンプルがいい。
私は、幼稚園を一度中退していて、「頭の回転が遅い」「動作が鈍い」「変わってる」のが原因
大人になっても、相変わらず「頭の回転が遅い」「動作が鈍い」「変わってる」
幼稚園の先生にも親にも友達にも そこをツッコまれ(いじられ?)続けてきたので、
「どうせ私は・・・」という気持ちにもなりやすい
でも人の心なんて、ほんとのところは読めないのだし、言ってる本人だって、ほんとのところはわからないことが多い。
考えてたらキリがない。
「私はイワシじゃない」「わたしはイワシじゃない」「わたしはイワシじゃない」
「限りある人生をつまらないものにしてしまったら損」
英語をマスターしたい者としては
「何か欲しいものを手に入れるためには、それなりに努力をしなくてはならないのだ。」
を解釈すると
「英語をマスターしたいなら、それなりの努力をしなくてはならないのだ」
せっかくいい学びの場を見つけても、いろんな人が集まる
あの人がいるから、行かない。とかの選択ももちろん自由なんだけど、
人がたくさん集まれば、当然、好きな人ばかりじゃないでしょ。
「ぜったい我慢できない何か、を我慢する、という譲歩をするのも、みな『喪失』です。」と書いてあった。
自分が欲しいものを手に入れるためなら多少の『喪失』も厭わないと思うか、「いや、それは絶対避ける!精神衛生上よろしくない」と思うかは、自分の選択。どっちも正しい。別の方法があるかもしれないからね。
私、柏トーストマスターズを立ち上げたのは、人助けのためであり、自分が立ち上げたくて立ち上げたわけじゃない と思ってたけど、 いやいや、「立ち上げる」「立ち上げない」の二者択一で「立ち上げる」方を選んだのは、どうしたって真実
トーストマスターズクラブなんか嫌いと思い続けてたけど、
夫に言わせれば、「ほんとに嫌いならやめればいいだけだろ」
私「いやいや、立ち上げちゃった責任があるからやっているだけ」
いや、まて、本当にそうなのか?
最近は、苦手なevaluationの練習会をやって、evaluationが楽しい
会員を増やすためにいろんなイベントを考えては、やってみるけど、ほぼ、ポシャる(ポシャるの語源はシャッポ(帽子)だそうだ 「シャッポを脱ぐ」)
やるか、やらないか、の「やる」を選択し続けて、それなりに学ぶことがある
Table Topicsの練習も再開しよう
満足は、まだしてないけど、人は成長するんだということを身をもって体感・目撃してるじゃないか
悪くない人生だな
さて、ここでやっと・・・
自分のワークショップ、オンラインティーパーティーの話
英語は使ってなんぼ
英語が出てこないから参加しないと、いつまで経っても、
参加できる英語を話せる自分になんかなれない
他人の目が気になって仕方ないのが人間、それ、ふつう
でも
[さぐるような、検分するような、値踏みするような ぶしつけな視線]
だと思っているのは、ほとんどの場合「思い過ごし」
要は
英語、話せるようになりたいの? なりたくないの?
ってこと
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